著者:中山七里さん
①本の簡単な紹介
豪雨の夜に起きた、不動産業者殺害事件。
容疑者として逮捕された青年・楠木明大は無実を訴え続けるが、強引な取り調べによって自白させられ、死刑判決を受けた末に獄中で命を絶ってしまう。事件はそれで終わったはずだった。
しかし5年後。別の強盗殺人事件を追う刑事・渡瀬は、あの事件と酷似した手口に気づく。新たな犯人の証言から明らかになったのは、楠木明大が冤罪だったという衝撃の事実だった。
さらに23年後。真犯人が仮釈放された直後に殺される事件が発生する。渡瀬は自らの過去と向き合いながら独自に捜査を進め、やがて事件の裏に潜むもう一人の“影の存在”へと辿り着く。
冤罪、復讐、そして罪を背負って生きる人間の葛藤。
一つの事件をめぐり、数十年の時間を超えて真実が浮かび上がる。
②自分の考えや本への想い
「正義とは何か」という問いを、読む者の足元からぐらぐらと揺さぶるような一冊だ。自分がこれまで信じてきた“正しさ”とは何だったのか。その前提そのものを、静かに、しかし確実に問い直される。
本作の軸にあるのは、冤罪というテーマだ。証拠、証言、論理。一見盤石に見えるそれらの積み重ねも、ほんのわずかな歪みでまったく異なる結論へと導かれてしまう。その過程を追体験するうちに、読者は気づかされる。人間が人間を裁くという行為そのものが、常に不完全さと隣り合わせであるという事実に。
そして同時に、その一つの誤りが、誰かの人生を決定的に壊してしまうかもしれないという恐怖にも向き合うことになる。
タイトルにある“テミス”※1とは、正義を司る女神の名であり、その手に握られる剣は、本来「絶対的で揺るぎない裁き」を象徴するものだ。しかし本作において、その剣は決して厳格無比な存在ではない。振るうのは神ではなく、人間である。どれだけ法と証拠に忠実であろうと、その判断には必ず解釈が入り込み、わずかな偏りや思い込みが刃先を狂わせる。本来は真実を切り分けるはずの剣が、時に無実をも切り裂いてしまう――その危うさこそが、「テミスの剣」に込められた本質的な皮肉であり、この物語の核心である。
裁判官は、高潔であることを求められる存在だ。公平で、冷静で、私情を排し、ただ事実と法に従う。しかし当然ながら、彼らもまた一人の人間に過ぎない。迷い、揺れ、確信を持ちきれないまま、それでも最終的な判断を下さなければならない。そこにあるのは、正義を執行する者としての責任と、誤るかもしれないという恐怖のせめぎ合いだ。
「もしこの判決が間違っていたら」という疑念は、決して消えることがない。それでも彼らは、判断を放棄することを許されない。なぜなら、誰かが裁かなければ社会は機能しないからだ。
冤罪の可能性に怯えながらも、それでもなお“より良い社会のために裁く”という矛盾を引き受ける。その苦悩こそが、裁判官という存在の本質である。
本書が巧みなのは、こうした問いや葛藤を決して声高に主張しない点にある。あくまで一つの事件、一つの裁きの過程として物語を進めながら、読者の中に疑念をじわじわと蓄積させていく。「この判決は正しいのか」「この選択に迷いはなかったのか」と考え続けるうちに、気づけば読者自身が“裁く側”に立たされている。ページをめくる手は、いつの間にか“判決を下す手”へと変わっているのだ。
そして、中山七里作品の真骨頂ともいえる“どんでん返し”は、本作でも鮮やかに決まる。ただ驚かせるだけでは終わらない。物語の前提そのものを覆し、「自分は何を根拠に信じていたのか」と読者に突きつけてくる。その瞬間、これまでの理解が音を立てて崩れ、同時に“テミスの剣”の意味が、まったく別の輪郭で立ち上がる。この体験は、思わず息をのむほどの衝撃だ。
本作は、単なるミステリーではない。読む者に、「正しいとは何か」「裁くとはどういうことか」を静かに、しかし執拗に問い続ける物語だ。そして読み終えたとき、胸に残るのは一つの疑問である。
本当に人間に、人間を裁く資格はあるのか
※1 テミスとは、ギリシア神話に登場する法と掟の女神です。古代ギリシア語で「不変なる掟」を意味し、法や秩序、正義を象徴する存在とされている

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