著者:冬野夜空さん

①本の簡単な紹介
クラスで目立たない存在だった輝彦は、人気者の香織から突然「専属カメラマン」に任命され、平穏な日常を一変させられる。自由奔放で明るい彼女に振り回されながらも、写真を通して距離を縮めていく二人。しかし輝彦は、香織が笑顔の裏で重い病と闘っている事実を知る。限られた時間の中で、輝彦は「本当の彼女」を残したいと強く願い、シャッターを切り続ける。残された二カ月間は、苦しさと切なさに満ちていながら、同時にかけがえのない輝きを放っていた。写真に刻まれた想いが、永遠の記憶となって胸に迫る、純粋で痛切なラブストーリー。
②自分の考えや本への想い
青春小説であり、純愛小説であり、同時に「生きるとは何か」「忘れるとは何か」を静かに問いかけてくる物語である。高校生という時間はあまりにも短い。大人になって振り返れば一瞬の出来事のようで、しかし当事者にとっては、その一日一日が世界のすべてだった。
物語の核にあるのは「写真」というモチーフだ。写真は一瞬を切り取ることはできるが、すべてを残すことはできない。音も、匂いも、温度も、感情の揺らぎも、フレームの外へとこぼれ落ちていく。それでも人はシャッターを切る。なぜなら、少しでも生きた証を残したい、記憶を切り取り、次の一瞬へつなげたいと願ってしまうからだ。輝彦が香織を撮り続ける姿には、写真という媒体への信頼と同時に、写真では決して届かないものへの切実な焦がれがにじんでいる。
香織という存在は、単なる「儚いヒロイン」として消費されることを拒む。彼女は明るく、気丈で、誰よりも優しい。その明るさは、周囲を思いやるがゆえに弱さを見せないという選択に裏打ちされている。辛さを抱えながらも、それを他人に背負わせない強さは、美徳であると同時に、残される側に深い痛みを残す残酷さでもある。しかし一方で、彼女が弱さを見せないのは、単なる優しさだけではなく、信頼の欠如というよりも、信頼した先で相手を傷つけてしまうことへの恐れ、あるいは限られた時間の中で関係性を揺るがせたくないという切実な願いの表れなのではないかとも思わされる。だからこそ彼女は、最後まで笑顔を選び続けたのだろう。
読者はその姿を通して、「もし残された時間が短いと知っていたら、自分もきっと同じように振る舞ってしまうだろう」と気づかされる。その強烈な自己投影の余地こそが、本作の感情を静かに、しかし確実に胸の奥へと突き刺してくる理由なのである。
印象的なのは、「忘れてほしい」と「忘れてほしくない」という矛盾した願いが、物語の根底に流れている点である。忘れられることで、残された人は前に進める。しかし、完全に忘れ去られることは、自分が生きた証そのものが消えてしまうことでもある。この相反する感情は、死を意識したときに初めて浮かび上がる、人間のどうしようもない本音だろう。写真は、その狭間に架けられた、か細くも確かな橋のように存在している。
本作を読み終えて強く胸に残るのは、メメント・モリ(死を想え)という言葉の重みである。死を意識することは、暗さや絶望ではなく、むしろ生の輪郭をはっきりと浮かび上がらせる行為なのだと、この物語は教えてくれる。限りがあるからこそ、一瞬は輝き、記憶はより尊いものになる。
『一生を生きる君を、僕は永遠にわすれない』は、ただ泣ける物語ではない。「今、この瞬間をどう生きるか」を、静かに、しかし確かに読者へ突きつける作品である。写真には残せないものが確かに存在する。けれど、その残せなさを知ったうえで、それでも何かを残そうとする行為そのものが、人が生きるということなのだと、本作は優しく、そして厳しく教えてくれる。


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